七転び八起きの日常

発達障害や持病持ちの私の出来事や同じく発達障害を持つ子供の子育てや日常をマイペースに書き綴ります。

幼少の頃の記憶

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私は子供の頃の記憶があまりありません。

でも、しっかり覚えてる記憶もあるんですよね。

母親とは私が3歳の頃に父親の母親に対するDVで

毎日母親が酔った父親のDVにあっていたのは

結構3歳ながらに鮮明に覚えていて

私には歳の少し離れた兄がいるのですが

兄はDVが始まると

2段ベッドの布団に包まって

現実逃避でもしてた記憶があります。

私は、母親の事がとても大好きだった様で

泣きながらDVの中に飛び込んで止めに入っていました。

母親が外に追い出された時は

多分10円硬貨だと思うのですが

硬貨を握りしめて父親の所へ行き

「これ(10円)でママを許してあげて」みたいな事を

必死に言っていた記憶があります。

本当毎日毎日DVです。

母親の面影は曖昧なのですが

昼間私と二人きりの時も物静かで

ぼんやり物思いにふけて座っている

母親の後ろ姿は今もしっかり覚えています。

時々母親の実家へタクシーで行っていたのも覚えていますが

私は乗り物酔いが酷かったのでよくタクシーで

専用袋に吐いていました。

あとは母親に怒られた記憶は私にはありません。

記憶が美化しているのかもしれませんが

母親の事は大好きでした。

度重なる父親のDVで両親の離婚が決まり

兄は跡継ぎとして父方、私は母方に引き取られるのも決まり

私は父親にお別れの挨拶までしたのも覚えています。

ところが何があったのか幼かった私には

未だに分からないのですが

父方、母方の両親と父親と母親で

家族会議の様な事をしていて

かなり大人達が言い合いをしていましたね。

母親がそれに耐えられなくなったのか

急に悲鳴の様な声を出して倒れた時は

とても驚きました。

そして救急車が来て母親が運ばれて行きました。

ここからまた私の記憶は薄れるのですが

母方に引き取られるはずだった私は

母親が入院してしまい子育てが出来なくなり

父方に引き取られる事になったようで

母親との最後は、母親が入院している病院の個室で

背を向けて泣いている母親に

私が「さようなら」と言ったのが最後でした。

それのせいか、私は未だに「さようなら」と

言う言葉が言うのも言われるのも大嫌いです。

こんなあっけなく母親と2度と会えなくなるとは

幼い私には理解出来ず

もう少し私が大きければ父方には行きたくない!と

もっと強く言えたかもしれません。

後々知ったのですが

母親は統合失調症を患っていたようで

度重なる父親のDVや近所に住む姑の嫌がらせで

悪化してもう限界だったんでしょうね。

もう何十年経ち叶わないけど、それでも私は母親とずっと傍で一緒にいたかったです。

【三つ子の魂百まで】と言いますが

私は3歳まで育ててくれた母親を今も大好きです。

最近母親が生存している事が分かりました。

叶うものなら私の事を忘れていても構わないから

会いたいですね。

 

両親の離婚で父方に渋々引き取られてからの

お話はまた後程書きますね。

 

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