七転び八起きの日常

発達障害や持病持ちの私の出来事や同じく発達障害を持つ子供の子育てや日常をマイペースに書き綴ります。

心が壊れた時のお話しと継ぎ接ぎだらけだけど復活した心のお話し。

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訪問有難うございます。

 

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昨日の続きですが

www.chiru-emma.com

 

私は中学2年生の時に心が壊れました。

 

この記事ですが

詳しく書いていたのですが

かなり内容がグロテスクになってしまったので

今削除して書き直しています。

 

それでもグロいかもしれないので

苦手な人は読まずにスルーしてくださいね。

 

 

 

グロテスクな部分は極力伏せますが簡単にいうと

この虐待に終止符をうちたくて

病院へ行くレベルの怪我をしたら

世間に表沙汰になって虐待から解放されるんだと

子供なりに必死に考えた計画を実行すべく

 

自らの意思で自分に怪我を負わせたのですが

(死ぬ気もなかったですし、リストカットではないですよ)

 

その日は日曜日で父が居間にいました。

 

怪我をしてボンヤリ立っている私に気づいた父は

流石に驚いて慌ててはいましたが

結論から言うと

結局意地でも病院には行かせてもらえませんでした。

病院へ行かなかったせいで治るまでしばらくかかりました。

 

この出来事で[やっぱり逃げられないんだ…]と

思うようになってからますます心が壊れ出して

一言で言うと【もうどうでもいい】です。

 

もう虐待なんてどうでもよくて

一層の事死んでもどうでもいいやで

 

反抗もする様になりましたし

 

殴られようが暴言を吐かれようが

なんだか滑稽でヘラヘラしていました。

 

この辺りから摂食障害も始まり

1週間水だけで食べ物は食べなかったり

 

自傷行為も始まり腕は傷だらけでした。

 

幻聴で鈴の音が聴こえだしたり

 

今までは発言を我慢していた言葉を

どうなっても良かったので声に出して1人で呟いたり

喚いたりで独り言も増えて行き

 

ムカついたら壁を殴って

腫れ上がる拳が面白かったり

 

流石に私の様子がおかしいと祖母と父で

地元は恥ずかしいから

地元じゃない精神科へ連れて行くか

でも原因が自分達だから止めるべきか

言い合いしている声を聞きましたが

もう今更どうでもいいやで笑えてきました。

 

それからの記憶は比較的覚えています。

何だか祖母も父もどうでもよくて

やられたら違う事でやり返してましたね。

なので新築の自宅でしたが

私に与えられた納戸みたいな小さな部屋は

壁は私が殴って出来た穴やへこみや

落書きがいっぱいでした。

 

虐待されるのが全く怖くなくなってしまったんですね。

1度心が壊れたせいか怖いもの知らずになっていき

痛みにも強くなり虐待されても痛くもなくて

 

祖母も父もちっぽけな人間だった事にも気付けて

もう【どうでもいい精神】だったので

暴力を受けそうになったら死んでもいいから

抵抗する様になったのですが

それが日に日に生きる力になって

早く自立して出て行ってやるという目標ができました。

 

中学2年生の時に心が壊れたおかげで

1度自分が死んでから戻って来た感覚です。

怖いもの知らずな自分になっていました。

 

虐待も父が私が高校2年生の時に再婚したので

虐待がバレないように再婚を期に止まり

(祖母は標的を私から再婚相手に移し嫁いじめを

始めてました)

私は家から出る事が出来て

初めて自由の世界で生きるようになりました。

『高校は義務教育ではない』と学費を

出してくれなかったので

高校生の時にアルバイトをしていた事もあり

少しは貯えもありましたが

 

未成年でいきなり社会に出るのは

決して楽な事ではありませんでした。

アパートを借りるのですら大変でしたが

虐待されている時は全く助けてくれず

とっとと家を出て働いていた私の歳の離れた兄が

アパートの保証人になってくれたので

(最初で最後でしたが初めて兄が活躍してくれましたね)

住居も確保出来たのは助かりました。

 

 

虐待生活に比べたら遥かに幸せでした。

解放されるまでの自由を取り戻すかのように

些細な事でも嬉しかったり

ADHDだったので失敗も沢山しましたが

がむしゃらに働いて

友達も沢山出来て朝まで遊んだり

恋愛もしたり

出会いや別れもあったり

あの頃は生きているのが楽しくて本当に幸せでした。

 

最後まで読んでいただき有難うございました。

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